輪番御忌について基本的な知識

輪番御忌について


 平成20年4月27日日曜日に、当山では、浄土宗兵庫教区摂陽東組恒例の
輪番御忌を当番寺院として勤修することとなりました。当日は、組内各寺院の
御住職並びに檀家総代がおいでになります
 そこで、輪番御忌とはどういうものかお話ししたいと思います。



1.御忌とは

 念仏の元祖法然上人は浄土宗の開祖です。長承2年4月7日(1133年5月13
日)に生まれ、 建暦2年1月25日(1212年2月29日)に亡くなりました。時代は平
安時代末期から鎌倉時代初期に当たります。
 亡くなった後に、天皇より諡号を賜り、法然上人の大師号は現在「円光(東山天
皇1697年)・東漸(中御門天皇1711年)・慧成(桃園天皇1761年)・弘覚(光格
天皇1811年)・慈教(孝明天皇1861年)・明照(明治天皇1911年)・和順(昭和
天皇1961年)となっております。
 また、大永4 ( 1524 ) 年に後柏原天皇より “ 知恩院にて法然上人の御忌を
勤めよ ” という御忌鳳詔 ( みことのり : 天皇の言葉 ) があり、以後、法然上
人の忌日法要を 「 御忌法要 」 として奉修されてきました。
 次に、その後柏原天皇の『大永の御忌鳳詔』を読んでみましょう。

後柏原天皇『大永の御忌鳳詔』

 朕聞く、流派をくむ者はるかにその源を尋ね、枝葉を愛する
者つとめてその根を培うと。
 蓋し知恩教院は浄土宗創業の道場・師祖入滅の霊跡なり。
遺教は海内にひろがり、属刹は国中に遍ねし。
 いやしくもその末流たる者いずくんぞ本流を忘るべけんや。 
今より後孟春の月に遇わば、宜しく京幾の門葉を集会めて、
一七昼夜の法然上人御忌を修せしむべき也。

 この後柏原天皇の『大永の御忌鳳詔』を声に出して読んでみると、御忌鳳詔
が端的に御忌について説明された名文であることがよく理解できます。


2.輪番御忌とは

 輪番御忌がいつから始まりどこからどこへ拡がったというような大きなお話は
さておき、当山松林寺が属する浄土宗兵庫教区摂陽東組の輪番御忌について
考えてみます。例年の輪番御忌で次年度の輪番寺院への引き継ぎ式の折、組
長様が披瀝するのが川邉出張所部内川邉門中寺院に対して明治32
年(1899年)1月25日に浄土門主大僧正竟譽猊下から下された文書でありま
す。その中には
「宗祖大師御忌大法要執行致可事」

 と書かれています。明治32年といえば、元祖大師700年大遠忌を12年先に控
えた時期に当たります。この時代背景を考えると、明治維新後に成立した新政
府が明治元年(1868年)3月に発した太政官布告神仏分離令、明治3年(1870
年)の大教宣布など神道国教・祭政一致の政策によって一般に「廃仏毀釈」と
呼ばれる仏教施設の破壊などが起こりました。明治4年(1871年)ごろ騒ぎは収
まりましたが、仏教界は大きな打撃を受けたままの状態からなかなか立ち直れ
ませんでした。それから28年後に浄土門主から下された御忌大法要という言葉
の響きには、元祖大師700年大遠忌を12年先に控えて浄土宗復興をという意気
が感じられるように思います。
 ところで、川邉とは何かと疑問を感じられる方も居られるかも知れません。地
名だとすると、現在の川辺郡は猪名川町しかありませんし、猪名川町に摂陽東
組の寺院はありません。では昔の川邉郡はどうだったでしょう。大宝律令の成
立の時に郡が成立して以来、江戸時代に至るまで統治単位として重要な意味
を持っていました。江戸時代の古い文献には、摂津川邉郡という記述が見られ
ます。大体、武庫川を挟んで西側は武庫郡、東側は川邉郡という区分であった
ようです。明治維新となり、明治初年の郡は単なる地理的区分になりました。し
かし、明治11年(1878年)の郡区町村編制法で行政区画としての郡が復活しま
した。同法は、府県の下に郡を置いて、郡長を任命する事を定め、同時に、大き
な郡を分割したり、小さな郡の合併をしました。この制度下の郡は自治体では
なく、郡長以下は中央政府の官僚でした。郡の役人が勤務する役所は、郡役
所といいました。さらに、明治23年(1890年)に郡制が公布されました。郡は府
県と町村の中間の地方公共団体として規定され、郡会が置かれました。
 大正11年(1921年)には郡制廃止法が発布され、大正13年(1923)年に郡会
が廃止され、大正15年(1926年)に郡長と郡役所が廃止されると、郡は再び単
なる地理的区分になりました。明治32年(1899年)当時は、川邉郡という行政
区画として使用されていたというわけで、現在の摂陽東組の寺院の所在地であ
る川西市・宝塚市・伊丹市・尼崎市はそのエリアに該当します。川邉門中寺院
の門中寺院とは、普段一緒に法要を行うグループを指します。また、現在使用
されている組の名である摂陽東は摂津の国の南部で山陽道へと向かう方向に
ある地域の内の東にある方という意味です。地名では陽の字は山の南面で日
当たりの良い所を意味します。今日の語感では阪神間という呼称に当てはまる
だろうと思います。
 
 3.輪番御忌奉修に当たって

 元祖大師800年大遠忌を平成23年に控えて、輪番御忌を勤めさせて頂くに当
たって、800年という長い歴史に改めて思いを馳せ、念仏興隆を祈念しながら宗
祖大師御忌大法要を準備したいと思います。




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